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日時:2014年9月30日(金) 天候:晴れ 気温:22℃ 会場:韓国/仁川 コースコンディション:ドライ
4年に1度のアジアのオリンピック、アジア大会という大きな舞台に日本代表として参加させて頂き、銅メダルを獲得する事が出来た事、感謝の気持ちで一杯です。 たくさんの応援ありがとうございました。 長年競技をやっていますが、サポートして下さる方々、応援して下さる方々の力を最も強く感じた大会であり、それをメダルという形に出来た事を、本当に嬉しく思っています。 以下、レースレポートです。 私がアジア大会に参加させてて頂くのは12年前の韓国釜山(銀メダル)、(8年前は会場の関係でMTBは開催されず)、4年前の中国広州(5位)、と今回で3回目。 アジア大会の候補選手の1人であるとして連絡を受けた春には自転車に乗る事が出来ないでいた。 古傷の右膝を今年早々に痛めて、長年の悪い癖を改善する為にも、あえて自転車から離れてリハビリに費やしていた。 もう競技を続ける為の心身に持っていけないかもしれないという弱い心を振り払い、アジア大会は自分を奮い立たせる大きなモチベーションとなった。 苦しい時期に支えて下さった方々無しに続ける事は出来なかったと思う。 シーズンは4月にスタートしたが、まだレースできちんと走れる状態に無かったので、私のシーズンスタートは5月の末からとなった。 そこである程度走れるという感触も掴め、7月の全日本選手権、9月のアジア大会へと調子を上げていく事が出来ると思えた。 その後、代表選手としての通達を受けたが、当初は若い選手と一緒に行って私の経験を少しでも伝えられれば良いと考えていたので、女子の代表が私1人である事に戸惑いを感じた。 それでも、日本代表として自分自身に集中して挑めるチャンスを頂けたのだから、そのチャンスを最大限に活かしたいと気持ちを切り替える事が出来た。 8月には私自身も質の高い良いトレーニングが出来、順調であった。 9月に入り、超回復を上手く迎えながら更に調子が上がっていく予定であったが、今回はそこが上手くいかなかった。 しっかりと追い込みたい日に身体が思うように動かず、思っているトレーニングをこなせなかったり、痛みが出たりで、不安が多い中、大会は近付いていった。 10日前に行われたJシリーズの白馬さのさか大会を、アジア大会に繋げられるように心身との対話を大切に走り、その後はトレーニングよりも思いきって休養を優先させた。 日本を発つ2日前に、ミツバチに刺された事もポジティブに思えた。 (これまで2回、蜂に刺された後に調子が上がっていったので) 強化選手が利用出来るJISSも利用し、いつもコンディショニングをして頂いている平スポで最終調整をして頂いて、大丈夫という気持ちで仁川に向かう事となった。 そして出発前から雷太コーチが中心となって、日本チームとして現地の情報などを共有出来、自分自身もメダルをとりたいという気持ちを高めていけた。 4日前に現地に入り、3日前に会場の様子を見にいって周辺でロードトレーニング。 2日前と前日にコース試走の時間を設けられていた。 コースは1周5km弱で、ほぼ全体が広めのシングル~ダブルトラックの赤土と砂利で、根っこや石のテクニカルな物は全く無く、短いけれど勢いではいけないインナーローでサドルの先端に座って上るような斜度のキツイ上りが何発も出てくるもの。 下ってコーナリングしながら上りに入る所が多く丁寧でタイミングの良いギアチェンジが大切で、変速系のトラブルが無いように、メカニックの仁木さんには入念にチェックして頂いた。 前日はほぼ一日中雨が降ったり止んだりという天気で、赤土の路面と急勾配の上りがどうなるか心配だったが、幸いコースコンディションにさほど変化はなく、使用したかったパナレーサーのドライタイヤで臨める事が嬉しかった。 今回、女子は私1人だったので、雷太コーチが一緒に試走してくれて、ラインを見たり、アドバイスをして貰ったり出来たのでとても心強かった。 現地に入ってからは、井上マッサージャーが身体のケアを担当して下さり、JOC本部の鈴木先生の御指導も受ける事が出来、日に日にコンディションも上げていく事が出来た。 また、アジア大会では小林ドクターが付いていて下さり、JOCからは自転車全体のマネージメントを村田さんがやって下さり、様々な面でスムーズに進行させて頂けた。 これまで出場させて頂いたアジア大会やオリンピックといったJOC管轄の大会の中で、今回は最もやり易く、完璧にサポートして頂けた事も、自分はメダルという結果を持ち帰りたいという思いを強くさせて頂いた。 もちろん日本からも応援頂いている多くの方達の為にも レース当日は晴れ。 走り易い天候だった。 今回は、男子が10時スタート、女子が14時スタートだった為、午前中は選手村でゆとりを持って準備体操を入念に行い、女子選手のバスは会場に12時前に到着。 既にレースを終えていた幸平選手と時選手に会う。 金メダルはとれなかったけれど、本調子では無い中、最後に意地でメダルをもぎ取った幸平選手と、最後まで全力で粘って順位を上げた時選手に最新コース情報とパワーを貰いスタートへ の準備を進めていった。 5周の予定だった周回数が4周に変わったが、このコースは4周でも充分にハードであり、短めのレースが苦手である私でも、4周あれば充分に力は発揮出来るので問題は無かった。 スタートは重要。 前日もスタートの確認をし、当日のアップでもベダルキャッチからのスタートの練習を行っていたが、本番は上手く決まらなかった。 前には中国2人に韓国、インドネシア2人。6番手と出遅れてしまったが、そういう想定もしていたので、慌てずに自分のレースを進めていった。 私の前を行くインドネシアの選手は上りが上りきれなかったり、下りが若干遅く、早くパスしたかったが少し手こずり、その前を行くもう一人のインドネシアの選手も視界に捉えていたので、この2人の前にはいけると思っていて、1周を終えた段階で5位に上がっていたが、3位の韓国とも既に大きな差が付いていた。 私を含む4~7位は差が小さかったと思うが後ろからの不安はこの段階でで無かった。 コースの何ヶ所かでスタッフなどに情報も貰え、レースを終えた男子2人も山の中まで入って応援してくれて、凄く力になった。 2周目に入り、自分のペースで走る事が出来、身体も良く動いてきて良い感じで走れている事が解った。 中盤でもう1人のインドネシアを抜き、後半ループで韓国の背中が見えた時には少し驚いたが、その背中はグングン近付き、上りも押しが入っていたので、俄然力が湧いた。 3周目に入る前に彼女を抜いたが自国開催の意地か、暫く後ろに付いてきていたが、やがてその気配も消えた。 ラストの2周は銅メダルの位置で走っている、という思いが湧いてきていたが、銀には届きそうにないという事、トラブル無く普通に走れば銅を確実に出来るという事、それを確認し、後は変にメダルの事は意識しないように、守ろう守ろうとしないように、でもトラブルが起こりやすそうな所は丁寧に、集中して走る事が出来た。 ゴール地点が見えて、チームの人達の顔が見えて、メダルがとれた事が最高に嬉しくて、優勝じゃないけど、ガッツポーズでゴールを越えた。 本当に本当に、サポートや応援して下さった方々の力を自分の力に出来、感謝の気持ちを結果に出来た事が嬉しいです。 ありがとうございました!
関連情報 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201409%2F2014093000816&g=spo http://www.jiji.com/jc/zc?k=201409/2014093000727&g=spo http://www.cyclesports.jp/depot/detail.php?id=10252 http://www.cycloch.net/2014/09/30/16929/ http://cyclestyle.net/article/2014/09/30/14263.html http://www.sanspo.com/sports/news/20140930/oth14093013340004-n1.html http://www.cyclowired.jp/news/node/147849 http://cyclist.sanspo.com/153717 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=798934046794387 |
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